勉強が苦手な人へ。大丈夫。毎日、知らないうちに勉強はしています。
例えばTVやインターネットでニュースを見たり芸能人を見たり、有名人を見たり。どっか旅行の計画を立てたり。そうやって頭に刷り込まれて行くもの。知識。それも勉強です。立派な努力です。バラエティーや歌などのエンタメ、娯楽もそうです。
なぜなら、その知識が数百年前の有名人やニュースであったなら、それは歴史の勉強をしたと同じ事になるからです。地理も同じです。調べなくても耳に入って来るか、自分で見つけないと手に入らないのか。たったの、その違いだけです。昔のクラシック音楽や伝記、江戸時代の風刺画や娯楽を研究するのも、勉強ですよね?
これは、私が友達のやる気を起こすために思いついた言葉です。まったくもって、強引な考えですよね。
でもね、例えば美味しいと思う事。綺麗だと思う事。嫌だと思う事。良いなーって思う事。全部、自分が学んだ事と照らし合わせて感じています。何かあるたびに人は何かを感じ、何かを覚えます。そう、人生そのものが勉強です。勉強が素晴らしいなら生きる事は素晴らしい。みんな同じ、優等生です。
今、なんかコイツ胡散臭いなって思った事。それも、学んだ事ですよね?
何が言いたいかって、多くの勉強は殆どが覚える事です。その先にテストがあるなら、そこで高得点を取るなら、暗記力が必要なのは仕方無いです。
教科書や参考書がある限り、そこから問題が出て点数が付きます。資格も進学も、同じです。教科書とノート、パソコンやスマホを持ち込んで良かったら、みんな高得点じゃないですか?
という事は、それを無しでテストするという事=覚えたかどうか。それだけですよね。だって、カンニング禁止って事は、そういう事。
じゃあ、どうやったら覚えられるか。それが分かれば勉強は怖くない。難しい計算も、手先を使った技術も。やり方を、コツを、解き方を覚えればよいです。
そこで、私の一番の勉強法の紹介です。それは、
【誰かに教えるつもりで勉強する事】です。
もっと言えば、誰かに教える事を前提として 勉強する(覚える)事です。相手が居なくても良いです。でも、一人で勉強していて、そんなのどうやってするのー?って思いますよね。
例えば学習内容をノートに書く。これを誰かに教えるつもりで、わかりやすくしてみてください。注釈を入れたり、ちょっと掘り下げたり。誰かに説明しやすいように。
そのノートを見た人が、見て分かり易いように。覚えやすいように。ここで大事なのは常にその事を念頭に作業する事。いや、作業ではなく、勉強ですね。
自分が何かを覚えようとするのではなく、誰かが覚えやすいように。誰かが解きやすいように。教科書を作るつもりで、やってみてください。難しく考えず、自分が人に教えるならこう書くなーとか。理解したことを、もっと分かり易く出来るなら、そうしてみてください。
そして、実際に先生になったつもりで、声に出してそれを説明してあげてください。誰も居なくても良いです。明日、誰かに教えるつもりでやってみましょう。練習です。発表では無いです。講義です。
私は、何回も書いたり、見返したりするよりもその方が覚えられました。
この、何とも変態的で、一歩間違うと妄想癖の塊になりそうな勉強方法。この諸刃の方法に出会ったのは高校生の時。特に模索していたわけではなく、あまりテストの点が良くなかった親友に頼まれて勉強を教えていた時に偶然、気付いた事です。
わかりやすく、覚えやすく。時には噛み砕いた言葉で。どうやったら理解出来るだろう。質問に答えて、問題を解いてあげて。そんなことを考えながら勉強するようになって、いつしか私は 上手に教える方法を模索するようになりました。正しくは、なってしまっていた。
友達に覚えて欲しい。そう思う事で、私は自分にも甘えられなくなりました。そう、責任感も感じるようになり、また、教えていた友の成績アップを喜ぶようになり、もっともっと・・・
それで、友人のテストの点も上がりましたが、手を取られていたはずの私の成績も上がっていったんですよ。
その時に気付いたんです。
【誰かの為に覚える事って、素晴らしい。記憶力MAX】誰かに教えるために、学ぶ事。
これは、私の勝手な考えですが、普通、勉強って自分の為にします。いや、いつか誰かの役に立つ為に、みたいな事は置いておいて。とりあえずは自分の欲しい物、守りたいもの。何らかの個人的な目的があって勉強します。
でもそれは自分の為。それだけ。私の意志はそんなに強くない。多くの人は、勉強が苦手ですよね、多分。 それは、続ける意思だったり、集中力だったりもありますが、結局は勉強の目的が自分の為だけだから。
めちゃくちゃカッコよく言いますが、自分の為に出せる力は、良くて70%。大事な誰かの為に出せる力は120%。まさかの限界突破だと思うんですよ。でも、それが一番身に付くと思うんですよね。私はそうでした。
例えばニュースや身の回りで起きたこと、昨日あったこと。これって、記憶しようと思って勉強していますか?復習して暗記していますか?不都合な事に、人間の記憶は自由に消せないし、記憶するべきものを選べません。でも、意識しなくても会話に出て来ますよね?
私は思うんです。きっと無意識のうちに、特に学生や社会人として誰かに会う人は、誰かに話したり分かって欲しかったり、または単純に興味があって、そこに知る喜びやワクワクが有って。だから覚えようとしているんだと。
友達の成績が良くなって行く事が嬉しかったんですよね。ワクワクしました。もちろん、凡人同士の青春ですけどね。それでも、役に立てたと思う。教えるって、楽しいなって。
かなり精神論になっちゃったのでざっくり言えば、先生になったつもりで、誰かの為に覚える。よく言う、アウトプットと同じ感じです。
出来れば、本当に誰かに教えると良い。教えてもらう側にしたって、学校の先生よりも親しい人に教えてもらう方が、こう言っちゃなんだけど、ありがたいもんね。等身大の人間ですからね。相性も有るし。
科学的な裏付けとか無いんですけど、誰かの為になら頑張れた。誰でも出来る事では無いかもしれませんが、きっと たくさんいると思うんですよ、そういう人。だから、誰かの為にと思って、勉強しましょう。目的が増える事は、芯がブレにくくなりますからね。
それが難しければ、例えばブログなんてどうでしょう?メモ、ノートの替わりに教科書として、自分の学んだ事を人に教えるつもりで書いてみては?例えアクセス数が1でも、全然良いんですから。私が教えていたのも1人でしたからね。
私は花のブログを書いています。自分の知識と調べた事、知った事を書いています。
日々、それが勉強にもなっています。下手な説明ですが、やはり自分なりに、分かり易いと思って考えて書いた事は記憶に残ります。
誰かの為に勉強をする。アウトプットを先生になった気持ちでやってみてはいかがでしょうか?きっと、120%の力が身に付くと思います。
最後に私から、変態的行動は能動的だ。
これを励みに、やってみてください♪
読んで頂きありがとうございました。