今週のお題「お父さん」
穏やかな入江に椅子を2つ並べて、魚が餌に喰いつくのを待っていた。
隣の父が、餌を付け直そうとでも思ったのか、ゆっくりと糸を巻き始めた。
しかし、首を傾げながら、「重いな・・・」と呟いた。
そのまま、ゆっくりと糸を巻き続ける。
やがて、意を決して椅子から立ち上がり、竿を大きくしならせながら、力強くリールを巻いた。
その後、私は奇跡を見た。
私の父の趣味は魚釣りで、「食える魚しか釣らん」というのがポリシーだ。
しかし、魚を捌くのは母の仕事で、母は魚の匂いや飛び散るウロコが嫌いで、
「調理して持って帰って欲しい」と、いつも無茶苦茶な事を言っていた。
父は知人の船に乗せてもらって沖に出る事もある。そんな時は大物が釣れる事もある。
大きな魚を持って帰った時の父の笑顔と母の呆れ顔のコントラストが、私に魚釣りの楽しさと罪深さを教えてくれた。
結果、私は自分で魚を捌ける釣り人になった。
その日は雲一つない青空の下、私と父は竿先に全神経を集中して釣り竿を握っていた。
私も隣の父も、釣れてはいないが釣れた時の喜びを知っている。そしてそれは、いつ起こるか分からない。
そこに釣りの醍醐味がある。
それが私達親子が持つ共通の喜び、楽しみだった。そこが分かっている者同士は、例え釣れなくても、それが何時間であっても、苦痛にはならない。
しかし、この日は、そんな私でも退屈するくらい、さっぱり何も釣れなかった。
「うーん、今日は何も釣れないね」
「いや、まだわからんぞぉ?」
「時期が悪いのかな、今何が釣れるんだっけ?」 そう聞くと、父は少し考えてから、
「何が釣れるか分からないから、面白いんだよ」
と、妙にカッコ良く聞こえる言葉を口にした。
幼い頃、よく釣りに連れて行ってくれた父は、海が好きだと言っていた。目的地に近づき、車の窓から海が見える様になって来ると、次第に口数も増え、子供ながらに父のテンションが上がっているのを感じ取れた。
独身時代の頃もよく、釣りに行っていたらしい。日頃の事を全部忘れて、ぼーっとしている時間。何かを考えそうになったら、竿先に神経を集中させれば良い。そうすれば、余計な事を考えずにすむ。
「釣れなくても楽しいんだよ」
そう言っていた父は、きっと釣りよりも、魚を食べる事よりも、広い海を目の前に、自分の悩みが小さく感じられる時間が好きだったのではないだろうか。今の私がそうだから。
口にはしないが、釣りにはもう一つ、そんな醍醐味がある。これは大人になってから知った。幼い頃から釣りに連れて行って、色々教えてくれた父には本当に感謝している。
そして今、私は父を連れて海に来ている。それはとても感慨深い事だ。
そんな事を思いながら、ふと父の方を見ると、ひたすら海の一点、糸の先端を見続けていた父が、餌を付け直そうとでも思ったのか、糸をゆっくり巻き始めた。
しかし、何か様子がおかしい。
「重い・・・」そう呟いて糸を巻き続ける。根掛かりにしては糸が巻けている。(根掛かりとは針が海底の岩などに引っ掛かる事)
これは、もしかして【イカ】でも釣れたのかな。イカは、ズルズルと雑巾を引っ張る様な感覚の時がある。専用の道具で無くとも、時期になると稀に釣れる事がある。
タモを用意して、海に向かって張り詰めている糸の先端を見続ける。竿の曲がり方からして、大物だ。明らかに重い、根掛かりでは無い何かだ。
「イカか!?」「うーん、わからんぞ!」
「重いか!?」「重いな!」
しばらくすると、ついに海面に、白い塊りが姿を見せた。しかし父はそのまま巻き続けて、私がタモを入れるより早く、一気にそれを引き上げた。
「何が釣れた!?」
「パンツだ・・・」
画像でお分かりだろうか。恐らくゴムの部分のラインは確認出来ると思う。そう、パンツと言うよりは、ブリーフだ。
しばらく笑いが止まらなかったのと、撮影したら「馬鹿たれ!」と叱られたので、これより近くでの撮影は不可だった。
【5つのW】と言うのを御存知だろうか。
When・・・いつ?
Where・・・どこで?
What・・・何が?
Who・・・誰が?
How・・・どの様に?
このwhat以外の全てが謎に包まれた一切れのパンツ。
必死に針を外す父の姿が、台所でウロコを落とす母の表情にリンクしていた。
一つ言えるのは、「何が釣れるかわからないから、面白い」父のその言葉は大正解で、面白い事この上なかった。
父は人生で初めて釣れたパンツを見てこう呟いた。
「男物だな・・・。」
毎年悩む、父の日のプレゼント。今年は新しい釣り竿でもあげようか。
「また釣りの事、色々教えてね」
そんな言葉を添えながら・・・。