今週のお題「リラックス」
あれは私が初めて音楽発表会で指揮棒を握った日。遠く幼い、まだ中学生の頃の話です。私には音楽の才能どころか まともな経験もなく、ただクラスの学級委員長として皆が嫌がるのを鎮めるために立候補という形で、とある曲の指揮を執る事となりました。
ちなみに曲目は、誰もが知っているジブリのあの曲。
ピアノを弾くのは、大人しい文科系の女の子。ではなく、『え?お前ピアノ弾けたの?』っていうロックが好きなイケてる男。思春期という事もあり、嫌々ながらも少しは目立ってカッコいい所を見せつけられると思っていた私には大誤算で、みんなの注目や関心は、そのロック好きの友人に向けられるのでした。
当時、音楽を担当していた先生はとても優しくて、いつも笑顔をくれる明るい先生・・・だった。私が指揮棒を握るまでは。
よく、芸術肌の人間は二面性を持つと聞く。まさにその二面性を初めて見た私は、初めての放課後の音楽室での個人レッスンで指揮棒を強く握りしめ、プルプル震えながら鬼軍曹と化した先生と向き合っていた。
『出来ないの?やめる?』この言葉に対して『やります』よくテレビなんかでも熱血教師がやっている【芝居】である。ここで『やめます』という言葉を使えない事がわかっていて聞いている。台本通りのアンサーを与えると再びピアノ演奏が始まり、私は一心不乱に指揮を執る。
そして急に演奏が止まる。突然止まるピアノの旋律に、私の指揮棒もピタッと止まる。
『縦に二回振って、横に一回!』何度となく聞かされた言葉。分かっちゃいるけど。縦に振り続けてしまう。
『背筋!』十数年の形状記憶を経た猫背が伸びる。
『そこは左手止めて、右手だけ!』シンクロし続ける左右の腕。
『出来ないの?やめる?』
こんな日々が二週間くらい続いた時、私の体にはある変化・・・もなく、まったく成長していない私がそこに居た。そして、今日の音楽室にはロック好きのピアニストが来ていた。
『今日は一緒に演奏してもらうから』鬼軍曹のその言葉に私の指揮棒は心なしか下を向く。そしてファーストコンタクト。ロック好きの方を見てアイコンタクトを飛ばし指揮棒を・・・『はい、ストップ!』
『そんな怖い顔して始める曲じゃないでしょう。歌うみんなの気持ちも考えて』
そうだった、ここ数日、歌い手の事を忘れていた。私の指揮の個人レッスンと並行して、教室でクラスメートが歌の練習をしていた。恥ずかしがり屋で歌う時はいつも口パクの友人も、私が指揮者をやるなら頑張るって言っていたのを思い出す。
プレッシャー・・・心なしか指揮棒を重く感じる。
友人の思い、クラスメートの努力。ロック好きのピアニストはキーボードで教室の歌の練習の伴奏をしていた。さぞかしモテただろう。クラスに好きな女子がいて、自分の演奏で好きな子が歌を歌っていたら、そりゃあ気持ちいいだろう。恋心の1つでも芽生えるかもしれない。
なんて思っていたら、自分が情けなくなってきた。そして、ロック好きの方を見て心なしか睨む様なアイコンタクトを飛ばす。ついつい、鬼軍曹のリクエストを断る形になってしまった。
すると・・・にっこり微笑んでくれるロック好き。そして、その微笑みのまま私を見つめ、ゆっくりと、大きく頷いてくれる。無意識に私もそれに合わせて大きく頷き、指揮棒を振り、演奏が始まった。
全て見透かされていたのか、私の思いを汲んでくれたのか・・・。
『俺の演奏について来い』ではなく、『一緒に頑張ろう』そういう笑顔に見えた。
プレッシャーは消え、誰も居ない、本来はクラスメートが居る方向に向けて優しく指揮棒を振る。前奏が終わり、歌い始める合図だ。耳を澄ませば、歌が聞こえてくる。どこからともなく。上手い。これは鬼軍曹の歌声だ。
ロック好きの奏でる旋律、鬼軍曹の美声。このハーモニーに合わせて自然と手が動く。優しく、美しく、暖かいメロディー。そこには完全にリラックスして、縦に棒を振り続ける私がいた。
演奏が終わると鬼軍曹に言われた。
『縦だけでいいよ。その方が自然で。みんな歌いやすい。』
私は、驚き聞き返す
『それでいいんすか?』
すると、鬼軍曹が優しい先生の顔に帰って言った。
『ピアノの演奏に合わせて棒を振って』
こうして私の緊張は解け、指揮を執る事の気持ちよさに目覚め、練習も前向きになり当日を迎える事が出来ました。
私は、一息つきたい時には何かを見たり、食べたり、どっか行って見たり。人並みにそんな感じでリラックスしながら過ごしていますが、やはりとんでもなく緊張するような場面に出くわす事もあります。仕事でもプライベートでも、避けては通れない時があります。
そんな時、私は一息つこうと そっと昔の事を思い起こし、音楽室の事を思い出します。耳をすませば聞こえてくるジブリのあの名曲。ロック好きの優しい笑顔。結局何も変わらず迎えた本番。大きく頷いて、一息ついたらあとはメロディーに身を任せ・・・。