はなめも。~花屋のメモ帳~

現役フローリストが語る花と花屋のあれこれ。初心者向けにわかりやすく書いてます。花生活を始めませんか。

母の寝息と秋の夜

今週のお題「読書の秋」

本を読む事、それは人の話を聞くという事。

作られた物語にしても、誰かが自分の考えを書き綴ったエッセイの様なものにしても、誰かが読者に向けて語り掛ける。それを声では無く、文字で私達は聞かされる。一冊の本の中には、そんな誰かの思いが詰まっている。それを読む事は、作者の声に耳を傾けている事と同じと言える。

 

本を開くと、そこには沢山の文字が並んでいる。1文字ずつ、伝わりやすいように試行錯誤して選ばれた表現に姿を変えて、読む人を楽しませようと待っている。

 

私達は好きな時に、その話を聞く事が出来る。好きな時に聞くのをやめる事が出来る。

寝そべって聞いていても良いし、お菓子を食べたり、ジュースやお酒を飲んでいても良い。自由なスタイルで聞く事が出来る。

 

「もう一回聞かせて欲しい」と言えば、何度でも話してくれる。遠い未来で同じことを言っても、一字一句 間違えずに話してくれる。そして、そんな話の数々が、私の一生では到底読み切れない数で存在している。

 

 小さい頃の楽しみと言えば、寝る前に母に本を読んでもらう事だった。いつも同じ声で話してくれた。私にとっては母が本の作者で、私はその読者だった。わからない事を聞けば答えてくれるし、感想を言えばそれを嬉しそうに聞いてくれた。

 

布団の中で話の途中で寝てしまう事もあった。すると次の日は続きが聞きたくて、また布団に潜り込む。母の声は時には子守唄の様に聞こえる事があり、幼い私は起きていても眠ってしまっていても、どのみち至福の時間が得られるので、嫌な事は一つもなかった。

 

途中で眠ってしまった時は、決まって楽しい夢を見たと思う。寝起きの機嫌が良かったと母から聞いている。

 

先日、実家に帰った際に母に本を読んでもらった。と言っても、私の為ではなく、連れて帰った私の娘が おばあちゃんに本を読んでくれとリクエストしたのだった。

寝室から聞こえてくる母の声に懐かしさを感じつつも、私は隣の部屋でお笑い番組を見て豪快に笑っていた。テレビに夢中になっていると、そっとドアの開く音がして、

 

「おばあちゃん、寝たよ。」

 

そう言って娘が少し困った様な顔をして入ってきた。声が聞こえなくなってきたから、きっと母が娘を寝かしつけてくれたのだろうと思っていた。寝室に入ると娘が掛けたであろう毛布に包まれて、静かに寝息を立てる母がいた。

 

驚いたことに、本は握ったままだった。物語はあと少しで終わりを迎えるところだった。老眼鏡は置いてある。本能的に外したのだろうか。

 

私はそっと母の手から本を抜き取って、娘に物語の続きを読んでやった。読み終わると娘が感想を言いだそうとしてきたので、私は慌てて

 

「明日の朝、おばあちゃんに話してあげなさい」と言った。

 

娘は「うん、わかった」と言うと、やがて静かに眠りについた。

母はなぜ途中で寝てしまったのか、それはきっと疲れていたからだと思う。私の本の作者は一冊の本を一晩で書く気力はもう残っていないようだ。娘に聞かせる私の声は聞こえていただろうか。

 

もし聞こえていたら、良い夢を見ただろうか。寝起きは機嫌が良いだろうか。

 

次の日の朝、娘が母に昨日の本の感想を話していた。最後までストーリーを知らない母は、嬉しそうにそれを聞いていた。朝食の時に昨日途中で寝たことを話すと、

 

「あんたが小さい時も、よく読みながら寝てしまってたよ」と言われた。子供と一緒に布団に入っていると、やがて子供が眠り始める。すると、子供の体温が上がり心地よくなる。秋の夜は特にそうやって一緒に眠ってしまう事があったようだ。

 

 私は今となっては当然、自分で本を選び、自分の目で本を読んでいく。私にとっての作者はその本の作者に他ならない。

 

秋になるといつも以上に本を読みたくなる衝動に駆られる事がある。

 

それは日が短くなり夜の時間が長くなっただけではなく、秋になると少し気温が下がり、人肌恋しい季節になる。

 

読書の秋。眠る前に聞こえていた優しい作者の声と、その人の温もりを、一冊の本とその作者に求めているのかもしれない。

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